帝国オーケストラ
私たちはただ「音楽」を続けたかっただけなのです。
19世紀の後半に発足したベルリン・フィル。
戦争時、有限会社だったベルリン・フィルが経済的に破綻をきたすと、国営化され宣伝大臣ゲッベルスの配下に置かれる。ホールにあったメンデルスゾーンの肖像は外され、チャイコフスキーの音楽を演奏することは許されない。ユダヤ人団員は次第に排斥され、ヒトラーの誕生日には音楽祭典を開く。
勿論、団員の中に熱心な党員もいたし、名前だけの党員もいた。
団員は兵役を免除され、ユダヤ人から没収した楽器が払い下げられることもあった。殆どの団員は戦時中の優遇よりも、ベルリン・フィルで演奏出来るという音楽的に優遇された地位に魅力を感じていた。
ユダヤ人にレッスンをする事は許されなかったがレッスンを続けた団員もいるし、メンデルスゾーンも家で隠れて弾いた。つまり多くの団員は政治には無関心だった。
そんな時代を生きたベルリン・フィルの元メンバーと家族のインタビューで構成された作品。監督は、『ベルリン・フィルと子どもたち』などで有名なエンリケ・サンチェス=ランチ。2007年ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団125周年式典で上映された。世界初上映。
ベルリン・フィルの音楽監督であったフルトヴェングラーが、戦後にナチとの協力を疑われ裁判を受けたことは有名だ。しかしユダヤ人作曲家ヒンデミットを擁護したために音楽監督の座を追われかけることもあったことや、ゲシュタポに命を狙われたことは意外と知られていないのではないだろうか。
インタビューを受ける二人の演奏家はむしろ政治には無関心であり、「音楽以外の理由で団員を解雇するなど考えられない」ことや、「ユダヤ人と一緒にいたことを、党員の同僚に咎められるとは思いもよらなかった」ことを語る。
その反面、音楽に対しては実にシビアだ。解雇される前に危機を感じてアメリカへ亡命したユダヤ人チェリストに対しては「優秀な演奏家は長く(ベルリンフィルには)留まらない」と言う。
戦況が悪化しベルリンが瓦礫の街になっても、彼らは演奏を続けることになる。空襲警報が鳴れば防空壕に入り、空襲警報が鳴り止めば同じ小節から演奏を再開する。フルトヴェングラーは1945年2月にスイスに亡命したが、ベルリン・フィルはベルリン陥落の2週間前まで演奏会を行った。
野戦病院となったオリンピック村での慰問演奏を開いたとき、彼らは自分たちが恵まれていることを実感する。そうして傷つき、安堵する。国立歌劇場のメンバーすら、招集されたのだ。既に街に若い男性はいなくなり、ベルリンは瓦礫の街と化していた。
戦争が終了し、彼らは新しいベルリン・フィルを構築しようと考える。メンデルスゾーンを、チャイコフスキーを演奏しようと。勿論、復帰したユダヤ人団員もいれば、熱心なナチ党員を退団させることもあった。(この後、ナチ党員がオケトラとして参加していることはあったようだ)
ナチスの広告塔として活動したオーケストラの数奇な運命を辿ったドキュメンタリーとして、非常に見ごたえがある作品である。
挿入される映像と演奏も素晴らしい。音源が良くないとは言え、当時のベルリンフィルのレベルの高さを実感するものである。音の無い映像でもボウイングを見るだけで、素晴らしいバイオリニストであることがはっきりとわかるのだ。
DVD化もないだろうし、今後も上映の機会が少ないと思われる。
(すみません、確認したところDVDにはなります。が、日本語字幕については詳細不明)
地域によってはこれからの上映なので、興味がある人には是非見ていただきたい映画。
ちなみに戦時中に退団したユダヤ人演奏家として、シモン・ゴールドベルクがいる。
彼は新日本フィルハーモニー交響楽団の指揮者として、1990年から1999年まで日本に在住した。1942年からアジア演奏旅行を行なった際、日本軍によって1945年までジャワ島での抑留生活を強いられたという過去もある。よく日本で指揮者になってくれたものだと思う。
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